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私は27歳の男性で、現在は一部上場企業で事務、広報の仕事に携わっております。
私は大学院を中退し、2年間の無職を経て今の会社に勤めております。
大学院中退後、無職期間を経て、どのように就職することができたのかご紹介したいと思います。
順風満帆な大学生活
私は某有名国立大学の工学部に在籍していました。
授業のレベルも高く、研究内容もおもしろく、毎日が新しい発見で楽しい大学生活を送っておりました。
大学卒業後は大学院へ進学することを選び、毎日朝から晩まで研究に取り組んでいました。
精神が壊れた大学院研究室での生活
私の研究室では毎週火曜日の午後に、研究の成果を報告するきまりがあり全員が発表していました。
その発表は午後1時から遅い時では夜7時までかかるときもあります。
教授がとても厳しい方で怒声は昼夜響いております。
その空間に6時間ずっといるのはとても耐えがたい物でした。
もちろん私の発表でも容赦なく怒声は響きます。
「バカヤロー」「お前は幼稚園児以下」「みんなこいつを反面教師にしろよ」
この言葉は今でも鮮明に覚えています。
次第に研究室へは行かなくなり、バイトも休みました。
そして医者にいったところ、うつ病と診断され私は学校へ行かなくなりました。
親からの仕送りのみで生活した2年の無職期間
大学院を中退した後は、親からの仕送りのみで生活をしていました。
うつ病になってからは外へでることも出来ず、毎日死にたい死にたいと思っておりましたが、死にきれず泣いてしまうといった日々の繰り返しでした。
教授のことは恨み、なんで自分がこんな惨めな生活を送らなければならないんだと嘆き、同級生は大手企業に就職しており、ますますうつ病は悪化していきました。
親とキャリアセンターの人からの助け
大学と実家はかなりの距離があるので、親とは離れて暮らしておりました。
大学院を中退する前はちゃんと卒業しなさいと言われ続けてたため、連絡はずっと返しておりませんでした。
中退をした後もしばらくは連絡を取っていなかったのですが、親から自分のペースでいいよといってもらえたときに少しだけ気持ちが楽になりました。
周りと壁を作るのに意地を張っていたのかもしれません。
それからは大学のキャリアセンターに行き、自分の状況を話した上で就職のアドバイスをもらいました。
久しぶりに人と会話するのもあって何をしゃべったのかは全然覚えておりませんが、自分が何をしたいのかをその時考えなさいと言われたと思います。
大学の就職率は100%近かったのが幸いで、企業からの募集はありました。
昔描いていた高収入で大企業ではないですが、その当時は社会復帰したい思いが強かったと思います。
そしていろんな企業の説明会に参加してみました。
私は好奇心は旺盛なほうなので、説明会で話を聞くたびにどれも面白いなと思いましたが、どれをしたいかは分かりませんでした。
目先のことを決めかねたので、ずっと先を見て老後はどうありたいかを考えてみました。
答えは割と早くにでて、子供たちに勉強を教えたいなと思いました。
学校や塾では教えてくれない社会のこと、自分の経験の事、先頭を引っ張るだけでなく私みたいな途中で離脱してしまったり立ち止まった人たちを支援したいと思いました。
そのためには社会人になることが一番だと思い、何でもやらせてくれる企業を探しました。
とある説明会でこういう仕事がいま空いているということで、今の職に就いています。
この企業は営業やものづくりといった幅広いことを手掛けているので絶対将来に役に立つと思い仕事に励んでいます。
まとめ
生きていて何かに絶望し、途中で投げ出したり立ちとまったりして周りとは違う道に入るひとは少なからずいます。
それが中学生だったり、高校生だったり、大学生だったり、社会人だったりと、人にはいつ壁が立ちはだかるか分かりません。
でも私は絶望を経験したからこそ、いま強くいられるのではと最近思います。
あの時、毎日死にたいと思う日に比べ今はなんて幸せなんだろうと思います。
いま絶望にかられている日々を送っている人、光は必ずあります。まずは小さな一歩が大事です。
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