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私は、今でこそ介護の現場に復職していますが、一度介護の現場を離れニートになりました。
この記事では、私が株式会社系のデイサービスを退職し、現在の介護職に復帰するまでのお話を書いていきたいと思います。
単身上京、無資格からの介護職生活の始まり
高校卒業後、実家が貧乏だった私は奨学金制度と新聞奨学生という2つの奨学金制度を利用しながら情報系の専門学校に進学しました。
早朝と夕方に新聞配達の仕事をこなし、その合間に学校を通う日々は想像以上に過酷で、就職活動を行う時間の確保もままならない程でした。
そうこうしているうちに年月が過ぎ、卒業を来月に控えた2月です。
この頃になると、とにかく内定が欲しく職種問わず時間を見つけては面接を受けていました。
結果、たまたま面接を受けた介護会社から内定を頂くことができたのです。
介護に関しては無資格で不安もありました。
しかし無職で卒業だけはしたくない思いが強く、私は単身上京し、デイサービスの世界へと足を踏み入れたのです。
株式会社系介護事業所の落とし穴
資格がないまま飛び込んだ介護の世界で過ごす日々は思いのほか楽しく、最初に配属された職場の人達も優しい方ばかりで気持ちよく仕事ができました。
ですが、株式会社系の介護施設ゆえの事情が私を苦しめることになりました。
グループ内での人員調整目的の異動は予告なく行われ、売り上げの悪い施設は次々と閉鎖→統合されていきます。
人との絆が大事なお仕事にもかかわらず、本社の方針によりそれは何度も引き離されていきます。
そして私の勤めていた事業所もわずか3年で解体されました。
職員や利用者達は近隣の施設に分配されました。
もちろん私も数名の利用者様と一緒に異動の辞令を出され、新しい事業所に配属されました。
異動先での耐えられない人間関係。退職願を出すまで
新しく配属された事業所は、とにかく人が足りておらず、テーブル席の間をケアワーカーが走って往復し介助する野戦病院の様な環境でした。
人間関係もあまり良いとは言えません。
その職場にはパートと正社員の二つの派閥が存在していたのですが、表面上では仲良くしていても裏では互いに陰口を言い合っておりました。
一番堪えたのは利用者が帰った後、職員同士で利用者の陰口を言い合い笑いあってる光景でした。
私は人の陰口というものがあまり得意ではなかったので、異動先に勤め始めてから心を病むまで時間はそうかかりませんでした。
東京に帰る日、張りつめていた糸が切れた瞬間。そして、ニートに…
きっかけは帰省最終日。
東京行きの飛行機を前にした空港でのレストランでの出来事でした。
今思い返しても理由が分からないのですが、気づくと涙がとめどなく溢れだし嗚咽が抑えられなくなりました。
そんな私の姿を見た両親は100円ショップで買った封筒と便箋を手渡し一言
「もうやめれ」
と退職を薦めてくれました。
もうだめなんだ、心のどこか奥底で張りつめていた糸が一本切れた瞬間でした。
そこから東京に戻り退職届を提出するまで、そう時間はかかりませんでした。
借りていたアパートを解約し実家に帰り、私はニートになったのです。
まとめ
今、私は社会福祉法人系の老健で介護の現場に復職しています。
仕事は大変ですが、定時に上がることができ、休みもしっかりある人並みの暮らしを取り戻すことができました。
職場により労働環境に大きなバラつきこそありますが、介護のお仕事は人から沢山感謝される立派なお仕事です。
やりがいや、やっててよかったと感じる瞬間もたくさんあり、そのおかげで私は介護のお仕事をこうして続けられています。
介護職は、キツイというイメージが強い仕事ですが、良い職場に巡り会えるとやりがいを感じられる素敵なお仕事だということを皆さんにお伝えしたいです。
介護職を目指している方は、ネットにも求人情報などがたくさんあるので、実際によく調べてみて検討することをおすすめします。
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