超ブラック消費者金融の外交員を27歳で退職し、運送系営業の管理職に再就職するまで

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私は現在39歳男性で運送業の営業職(管理職)として仕事についております。

私が現在の職につくまでの間に一度転職を経験しております。

超ブラックだった消費者金融の取り立て係

専門学校を卒業して初めてついた職業が「消費者金融」の外交員でした、若かった為か給料に魅力を感じて入社しましたが、そこで待っていたのは今では考えられないようなブラック企業でした。

外交員とはつまり債権の取り立て係を指しており、日中は電話での請求をメインで行い、夕方からは顧客の家に訪問したり、職場近くで待っていたりとあまり真っ当な仕事ではなかったと思います。

そんななか成績もそこそこ出していた私は、社内でも回収率の一番悪い店舗に異動となり、そこで待ち受けていたのが後に退職を決意さえる事となる女上司です。

初めこそさほど気にしませんでしたが、次第に陰口を言われるようになり、次第にエスカレートして私の目の前で悪口を言うようになっていきました。

精神的にも肉体的にも限界となり、退職を決意し故郷に帰ることにしました。

実家に戻りだらけつつ、トラックドライバーのアルバイトに応募する

実家に戻ってからは、夜までゲームをして夕方起きて、パチンコ屋へ閉店後またゲームの繰り返し。

半年ほどそんな生活をしてましたが、貯金も底をつきアルバイトをすることに、悪い癖で高給なとこを中心に応募して結局トラックドライバーになることになります。

ドライバー生活は朝早く夜も遅い為肉体的にはかなりきついですが、精神的には1人の時間が長い為続ける事が出来ました。

トラックドライバーとなって半年が過ぎた頃に、上司に呼び出されて事務職への配置替えの打診を受けました。

正直以前の消費者金融の思い出があり、気は進みませんでしたが、他にする事もないので指示通り職に就くことにしました。

就いてみると想像してたほどの息苦しさはなく、私も物流業にどんどんのめり込んでいきました。

コンビニの立ち読みがきっかけで営業の管理職に転職!

次第にもっと大きな仕事を行いたいと考えるようになり、運行管理者や衛生管理職などの資格取得を積極的に行い少しづつ自信を取り戻していきました。

そんなある日、地元の大手の運送会社の求人をコンビニの立ち読みで見かけたのです。

早速応募してみると、面接を行なってくれることになり、後日スーツを着て面接へ。

私が持っている資格に面接官は驚き、筆記試験の結果を待たずに内定をもらう事が出来ました。

以来 本社勤務を経て何箇所かの支店営業所を回った後に、現在の営業部隊の管理職として業務を行う事が出来ました。

今までの辛い経験、寄り道があったからこその自分

今思うと、パチンコやゲームばかりしていた時間が少し惜しい気持ちもありますが、人生長いので多少の寄り道や間違いはのちの糧になると思います。

消費者金融時代に罵声を浴びせられた経験も、自らハンドルを握りドライバーをやっていた経験も、全て今の業務に生きていると思っております。

その時は辛くて逃げ出したいと思う事が多いと思いますが、私はそんな辛さから逃げてきた結果今がありますので、辛いと思ってある程度我慢したら、次の場所へ移るのも悪い事だとは思いません。

多少のお金と気持ちの余裕がなければ、仕事の内容も良いものにはなりませんし、現在も営業マンには一日中全力を出す必要はないと言っております。

適度に働き適度に休む事が出来なければ、気持ちはいつか折れてしまいます。

生活を行うための仕事ではありますが、生活があっての仕事でもあると思います。

生活が乱れれば仕事も上手くいきませんし、仕事が上手く行かなければ、生活も味気ないものになると思います。

大事なことはバランスの良いリズムと時間の配分だと私は思います。

最後に転職してから、既に数年経過しておりますが、当時の事を思い出すと今でも苦しかった思い出が蘇ってきて少し嫌な気持ちになりますが、先程も申した通りその経験が今の私を作っているのは間違いありません。

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