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紆余曲折あり無職から28歳で営業主任になりました。
ここではその体験談をお話したいと思います。
ラーメン店開業を夢見てアパレルメーカーを退職
大学卒業後は、自分の好きな洋服を仕事にしたいとアパレルメーカーに就職しました。
そこでの仕事は百貨店営業としてスタート。
しかし、ある時から自分の本当にやりたいことについて考えるようになりました。
というのも、私は子供の頃からラーメンが大好きでした。
私はラーメンの奥深さ、魅力にとりつかれ将来ラーメン店を開業して繁盛させフランチャイズ化を夢見ていました。
あるとき、自分のやりたいことはこれだと思い、周囲の反対を押し切りながらアパレルメーカーを1年で退職し、ラーメン店に修行に入ることにしたのです。
その店は地元ではかなり有名店で、私もその味を習得したいと頼み込んでアルバイトという形で働き始めました。
しかし、そう簡単に色々教えてもらえるハズもなく自分で勝手に覚えろという主人の元、ずん胴洗いからスタートしました。
私の取り組む姿勢に主人の対応も徐々に変わり、わりと順調に進んでいました
ラーメン修行に疑問を感じ始め断念。25歳で無職になる
しかし次第に、ラーメン店は考えていた以上に手間ヒマがかかり、非効率なことの方がよしとされるやり方や、手間の割に利益が少なく商売として魅力がないことに気付きました。
私は手探りの将来に不安が募りだし、修行を辞めることにしました。
自分の思い描いた人生が頓挫してしまい、なにをしたらいいのかを見失いました。
幸い実家だったので食べるには困りませんでしたが、両親はいい歳をした息子が無職で家にいることが恥のようだったので、近所では私のことは一切隠していました。
そんな事もあり、なんとなく家にいずらい感じでした。
再就職を目指しましたが、何の仕事をしたいかということが具体的になかったので自分のできそうな仕事をかたっぱしからハローワークを中心として紹介してもらいました。
しかし最初の会社をすぐ辞めたことやラーメンの夢を簡単に諦めたことを面接では鋭く突っ込まれ不採用の嵐でした。
まだ若いしすぐに見つかるだろうと高を括っていましたが、中途採用となるとそれなりのキャリアスキルが求められるため、ずん胴の洗い方が少しばかり上手なことなんかはクソの役にも立たず、なにもできない自分を情けなくなく思いながら無職が続きました。
父からは働かない男はクズだとまで言われ、この言葉をなにくそとかみしめて踏ん張っていました。
ここから人生を立て直すんだという強い気持ちを持って就活をし、面接ではこれまでの考えが甘かったことを反省してその経験を糧に働くことを語りました。
旧友の助けで輸入車ディーラーの営業に正社員として再就職
そんな中、大学のころよく遊んでた悪友に偶然会いました。
2人で車を色々改造して夜な夜な走り廻ってました。
彼は輸入車のディーラーで営業をしていました。
彼は私の近況を聞くと、自分の会社が中途採用の募集をしていると言って私を誘ってくれました。
売っている車は私の好きな車で新卒の就活の時にはアパレルの次に考えていた業界なこともあり、彼に紹介してもらうことになりました。
見事、正社員として採用してもらえることになり、無職から脱出できました。
実績が評価され2年で営業主任に
あれから2年、ノルマは大変ですがいろんなお客さんに巡り合って仕事が楽しくて仕方ありません。
こんなに車を売ることができるなんて思ってもいませんでしたが、人と接することが得意だったこともありこの仕事が性に合っていたようです。
さらに、実績を評価してもらい入社2年で営業主任になりました。
ここまで一直線の道ではありませんでしたが、実はこの道にたどり着くようになっていたんじゃないかと今考えます。
誇りをもって前進あるのみ
その時その時の決断はけっして間違っていたのではなく、その時はその決断がベストと思って下していることなので無職状態に陥りましたが、後悔は一切ありません。
この道違うなと気づいたら迷わず方向転換すればいいだけです。
歩んで来た道に誇りを忘れずに前進あるのみです。