世界的不況の時代に40歳無職の男が芝生管理会社の正社員に就職できた手法

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人生において仕事が占める重要度が一番大きいと考えるのは、誰しも同じだと思います。

この世界的不況の中、しかも40代となってしまった私が味わった辛い就職戦線、そして、そこからどう抜け出したか、年齢は違っても、同じ境遇の方の参考に少しでもなればと思います。

仕事に対する間違った基本姿勢

私の若い頃はバブル全盛期で、何度か転職した際の就職試験でも不採用になったこともなく、転職に困ることはありませんでした。

それゆえに、この頃は仕事についてあまり深く考えず、休日や給与を中心に考え、適当に会社選びもしていました。

正直いいますと、仕事というのを甘く考えていて、「嫌になれば、また転職すればいい」くらいに思っていて、今思えば、これら全ての考えが、長続きしなかった理由だったと思います。

20代の後半、自身がおかれた状況から仕事への考え方を変え始める

20代の終盤辺りから、自分の対年齢の仕事の実績や、経験値の少ない自分自身に焦りを感じ始め、将来に対する漠然とした不安が時々感じるようになってきました。

そこで初めて仕事に対する考え方を今更ながら一から真剣に考え直し、思いついたことが、自分が好きで得意なことと職種を少しでも結びつける事ができれば、やりがいが持てるのではないかということでした。

そして、何よりも「自分らしく長く続けていく」ということが一番大切ではないのか、長く続けていくことで、給与などは必ず後から付いてくるという考えに至りました。

機械関連の中堅会社へ入社、充実した仕事、そして結婚

私も30代となり、以前より興味があり、少し得意な分野でもあった機械メンテナンスの職種に携える、中堅企業に入社することができました。

この会社は、基本的な給与面や手当もかなり良く、通勤時間に難はあったものの、やっと理想に近い場所にたどり着いたような気持ちで、今度こそは何があってもしがみ付いていく思いで入社しました

業務の方は難しいのですが、それだけにやりがいや達成感もありました。

尚且つ残業、休日出勤が異常に多かったため、本給残業代を合わせると、びっくりするくらいの給与となり、あっという間に貯蓄もできたので、これを機会に結婚することになりました。

上司とうまくいかず、辞職に追い込まれる

入社当時から、直属のリーダーとの折り合いは悪かったのですが、私も割り合い気は強い方でした。

なので、あまり気にせず、半分無視して聞き流すようにしていました。

ところがある時点から、その上司の私に対する対応がより乱雑になり、私を辞めさせようという意図がはっきり分かる態度や言動が増えてきました。

数年間耐えたのですが、どうしてもその上司に仕事では勝てず、結局辞職に追い込まれました。

そして、取り敢えず地元の建築関連会社に再就職したのですが、前給料の5,6割しか稼げず、それを境に夫婦仲もおかしくなり、あっさり離婚となりました。

大不況と重なった長く辛い停滞期

私の30代半ば頃には、世界的な経済不況が始まりました。

日本においては、円高影響もあって、大手企業の事業縮小や、相次ぐ中小企業の連鎖倒産などが重なり、かつてないほどの就職難、異常な買い手市場の時代となりました。

そこに加えて、家族内での事情で実家である地方の田舎に住む必要性があったため、さらに社員募集が少なかったのです。

アルバイトをしながら職業安定所に通いましたが、二年間通い続けた末、力尽き諦めてしまいました。

過去の経験をもとに、芝生総合管理会社に採用される

そこで私は過去を思い返して、ふと気付きました。

一つだけ、年齢や経歴を気にせず、それなりの会社の社員になる方法があることに。

それは、元々数々のアルバイトを経験していた時に身に着けた手法でした。

町中の会社を見て回り、ここぞと思った会社に、募集が無くても飛び込みで交渉し、何度か興味ある仕事先に雇っていただいたことがあったということです。

これを今度はアルバイトから入り込んで、そこで目に留まるくらい仕事に打ち込み、社員に昇格するといった、シンプルな方法です。

その結果として、私は業界では中堅クラスに位置する芝生総合管理会社で二年間アルバイトに従事し、その後社員として採用していただくこととなりました。

少しでも興味が持てる職種であれば、どんな小さく細い入口に見えても、まずはトライするべきです、そこがダメなら何度も探しだしてトライしてみるのです。

どうせ諦めるなら、やるだけやって諦めた方が、自分自身に納得いくと思いますよ。

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