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ある日、主人が出勤前に吐くようになって、ご飯が食べられなくなりました。
当時主人は39才。健康診断も異常無い状態で、ただただ、家に居ればコクコク眠ってばかりの日々が続いていました。
特殊な職業についていた主人は早朝の2時3時に家を出ていました。
支度の途中で嘔吐する主人。お弁当の朝ご飯や、お昼御飯が食べられなくなっていきました。
元から温厚で、優しい性格。そして、40才の時に几帳面な主人が怒って仕事中に帰ってきてしまいました。
上司からのパワハラで我慢の限界になり、退職
色々な職場がありますが、この時、主人は上司からパワーハラスメントを長い年月受け続け、我慢が限界に近づいていました。
主人が怒っているのを見たのは最初で最後でした。
それでも、仕事に行き続けた主人。
41才のある日、「明日から仕事に行かない。」といいそのまま仕事を辞めました。
どうしたのか話を聞いて本人が答えようとしても、過呼吸になる。
仕事の話をすると嘔吐、過呼吸、眩暈。
体調を崩してしまい、聞くことが出来なくなりました。
それ以外は安定しているため、家で家事や育児をしてくれていました。
それでも主人の気にかかっていた事は、「生活費を稼がなきゃいけない。」だったそうです。
前向きに考える反面にやしなっていかなきゃいけない重圧と、別れた方が嫁が楽なのか、でも別れたくない自分との葛藤に不安がついてまわる。
そんな状態で、1日、1日を送っていたそうです。
それでも、働かなければいけない。生活費を稼がなきゃいけない。1か月過ぎた頃から前向きに居られるようになっていました。
職業安定所に通うようになり、夜は色んな求人サイトを見たりしながら過ごしていました。
その後、何日も職業安定所に通い、面接を受け、今の会社に就職しました。
無職期間に大切にしたこと
仕事を辞め、家に居る時に大切にしたこと。
それは、規則正しい生活を送る事。
大変な思いをし身体も心もボロボロに傷つき、ゆっくり寝かせてあげたい気持ちもありましたが、それでも主人の体調に合わせ、規則正しい生活を送る事、また、少しでも話を聞いてあげる事、再就職を急かさない事、この3つが就職活動中に大切にした事です。
私の中で、夫に養ってもらっている。そんな気持ちがあり「一生養ってもらう年月のほんの1年位、代わりに働くよ。そんな年があってもいいよね。60年間位のほんの1年。おばあちゃんになったらきっと笑い話だ」と言う気持ちでした。
ある日急に、心の病になり大変な思いをするかもしれません。
それでも本当に苦しいのは、本人で変わってあげられる物でもなくて、今は職場適応障害に関しての市のサポートも充実しています。
誰しも我慢し苦しんで働いていますよね。
職を選ばなければいくらでも働く所はある。我慢が足りない。情けない奴だ。
そんな言葉を主人に言った人もいました。ごもっともです。
それでも、一生お世話になるかも知れない会社です。慎重に選ぶべきです。
40才過ぎると39才までと違い正規採用の正社員として働くのは難しいくなります。
焦らず、沢山見て選ぶ。1番大切な事なんだと思います。
職業安定所の窓口で沢山話をし、細かい所まで確認したり、面接先に分からない事は素直に質問したり、経験したことがある仕事か、免許はあるか、少しでも携わったことがある仕事なら、多少でも覚えていれば初めてつく仕事より多少楽なのかもしれません。
まとめ
今、完治しイキイキしている姿を見て、良かったと思います。
無理をさせていたら命が無かったかもしれない、もっと酷い状態になっていたかもしれない、給料面も大切ですが無理をしないことも大切です。
主人が言っていましたが、「ゆっくりしていて大丈夫だよ」の言葉が寂しい反面、嬉しくて少しでも早い復帰に繋がったそうです。