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現在の私は31歳既婚(男性)で、正社員として工場に勤務しています。
今回は私が26歳無職から、航空宇宙向け精密部品工場の検査課に正社員として就くことができた話をしたいと思います。
18歳で高校卒業後、ブラック企業へ就職
当時の私は工業高校へ通っていた為、生徒のほとんどが卒業後就職への道を歩んでいました。
私も当然就職を希望し、無事就職活動を終え地元にある社員200名程の工場に就職したのです。
その会社は某大手電気メーカーの下請け会社で、主に送電線などを制御する配電盤などを製作していました。
入社してから新入社員は各部署への研修期間を経て配属先が決まります。
私は希望していた製造部門ではなく、製品の検査を行う品質保証部の検査課へ配属されました。
入社した当時から夏は案外仕事が薄く、冬場は忙しいと聞かされていたのですが、まさかこれからこんな目に合わされるとは思ってもみませんでした。
4月に入社し、検査課に配属されたのが6月でした。
検査の仕事は製造部が製作した制御盤を外観、内観、配線など設計図面通りに出来ているかを検査します。
もちろん電気を使用し実際に電気試験も行うので、割りと専門職のような感じでした。
私は電気の事などオームの法則ぐらいしかわからなかったのですが、新人でしたし、簡単な寸法検査などをメインに仕事をしていました。
それから半年ほど経ち、会社の雰囲気にも慣れ仕事も少しずつ出来るようになってきた時です。
常日頃から月10時間程は残業をしていましたが、1月の下旬からある先輩の補佐に付くことになったのです。
その人は仕事の虫のような人なのですが、人と会話やコミュニケーションを取るのが苦手な部類の人でした。
そして、2月が始まろうとした頃から私の地獄の日々が始まったのです。
その人が担当している仕事が、送電線の事故などが起きた際に電力の制御を行う制御盤でして、社内の仕事の中でもトップクラスに難しい仕事でした。
回路図も、参考書のように分厚く1つの制御盤を検査するのも1週間は最短でもかかるようなものでした。
ちなみに検査というのは最後の工程になる為、全てのシワ寄せがきます。
納期は完全に決まってしまっているので、設計が遅れた分や製造が遅れた分など元々2週間あった検査期間が半分になるなんて事はザラでした。
最初は1日2時間程の残業から始まり、1週間後には1日4時間に。
さらに1週間後には最低でも1日6時間の残業を強いられました。
その中で、電気試験などこの半年までに簡単な事しかやっていなかったのですが、人が私とその先輩しかおらず、納期までに終わらすには自分も電気試験をやらなければなりません。
あまりに難しく、出来ないのが当たり前なので、先輩に教えて貰いながら行うのですが、先輩は口下手なので説明が簡潔すぎて理解するのが難しく、何度も教えを請うと今度は怒りだす始末です。
それでも、仕事を終わらせないと帰れないし、日頃からの疲れの蓄積もあり、精神的にも追い詰められていました。
そんな生きるか死ぬかのような緊迫した心理状況+若さ故の吸収力の良さでなんとか電気試験をこなしきり、一段落かと思いきや、
今度は出荷前にお客様がわが社に来社して製品が良品かを確かめにくるので、その対応も検査課の仕事でした。
なので、毎日最低6時間以上残業し、金曜日にお客様がくるなら前日木曜日に徹夜して終わらせ、そのまま朝お客様を出迎えて今度はまた夕方まで対応するという、36時間連続勤務のような状態を週1でこなしていました。
そんな日々が4月まで続き、2~4月までの残業時間は月平均180時間を越えていました。
もはや基本給より残業代のほうが多い始末です。
こんな日常を6年間繰り返したせいか、仕事の全般を1人でこなせる&お客様からも指名をされてのヘルプ要員として出張するほど信頼と実績を短期間で得ることができました。
私は自他共に認めるほど口が上手いのと、付き合いも良いのでお客様とのコミュニケーションには自信がありました。
しかし給料面はひどく、同じ同期とは比べ物にならないほどの仕事をしているにも関わらず昇給に差はなく、ボーナスにも差がない。
そして終いには残業のやりすぎという事で、サービス残業を強いられることも多々ありました。
先ほども説明したとおり、検査は納期がきまっている為、終わらせなくてはなりません。
製造はサービス残業をやりたくない為に帰ってしまう事も多々あるので、その遅れた分のシワ寄せが検査課にきます。
少しずつ不満が溜まりとうとう私は7年目の1月に退社を決意しました。
初のニート生活!そしてハローワークへ
仕事を退職し、わずかながらの退職金も受け取り、とりあえずニート生活というのを味わってみようと思い、それからは遊び続けました。
昼過ぎに起きては朝まで友人と飲み歩いたり、時間は山ほどあったので一日中パチンコ行ったりゲームセンターに行ったりと、とにかく堕落した生活を送っていました。
そして3月の上旬に「そろそろ働くか!」と思い人生初のハローワークへ行くことに。
実際に行ってみると、私と同じ年代から50代ほどまでの幅広い年齢層の人達がいました。
そんな中、「もうあんなに残業はやりたくない」、「残業あってもサービス残業だけは嫌だ」という思いがありましたが、
求人内容だけではそこまでの事はわかりません。
とにかく自分の強みを活かさないとと思い、検査員募集の求人を探しました。
すると隣町に規模は50人程と小さいながらも航空宇宙関係の仕事という興味深い求人を見つけました。
記載してある給料面や待遇も悪くなくすぐにハローワークから連絡して貰うことに。
すると、「急な用件になってしまうけど明日2人面接やるので、明日夕方これますか?」との事。
あまりの急な話に戸惑いながらも了承することにしました。
急いで履歴書を作成し、更に何かアピールできないか?と考え、別紙でA4サイズの紙に検査員としての自分なりの心構えやアピールポイントを文章にして載せて次の日に持っていきました。
面接当日に内定!?予想外の展開に驚きの再就職が決まる
私の面接は夕方5時から会社の会議室で行われました。
メンバーは私と社長、事務部長、品質保証部の部長の4人でした。
私はとにかく当たり障りのない挨拶をし、履歴所を渡し、社長と品質保証部の部長からの質問に答えました。
「前の会社はどういうものを作っていたのか?」
「前の会社の職種は?」
など、基本前の会社の話題です。
その中でも一番重要そうだったのが、
『なぜ前の会社をやめたの?』という質問です。
私は正直に答えました。
「160時間を越える残業が日常的にあったこと。」
「サービス残業があった事」
「サービス残業だけは無理だという事」
面接自体は15分程で終わり、品質保証部の部長と2人で工場見学をして、最後にまた面接をした会議室に戻りました。
すると、社長から信じられない言葉が飛んできたのです。
「一度家に帰ってじっくり考えてもらって、それでも我が社で働きたいと思ったら連絡をしてほしい。返事は1週間後でいいよ」と。
私は合否は後日郵送でという流れになると思っていたのですが、この時点で私が働きたいと願うなら合格だよと言ってるようなものでした。
あまりのトントン拍子な展開にビックリしながらも一度帰宅。
特に断る理由も無かった為、「働きたいです」と連絡。
そこからは4月の新卒の入社式に合わせて入社となりました。
まとめ
後日談にもなってしまうのですが、部長になぜあの日、私以外にも2人の面接者が居たのに私を選んだのかを聞いた所、
履歴書と別にアピール用の書類を持ってきたのは自分だけだと言っていました。
その中の一文に心惹かれたと。
『検査員の仕事は1000個良品をだしても1001個目に不良品を流出させてしまったら全てが水の泡となる。』
是非これから就職活動をされる人は、履歴書と別にアピールできる何かを用意するといいかもしれませんね。