バブルが崩壊し35歳でリストラされ無職に。1年間の転職活動から再就職できるまで!

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40歳、男性です。

私は、大学を東京の大学を卒業してからそのまま東京で証券会社に就職しました。

当時はバブルの時代だったので、公務員よりも一般企業のほうが人気があり、みんな一般の会社に就職していました。

バブル崩壊で証券会社をリストラされ、35歳で無職になる

会社では、個人のお客様に証券を売る仕事をしていました。何回か転勤も経験しました。東北の仙台と名古屋に転勤してそれぞれ3年の、約5年いました。仕事はどちらかというと楽しかったです。

ごひいきにしてくださったお客様も何人かいました。80年代は日本も景気が良かったので、私の勤めていた会社も比較的景気は良かったと思います。

しかし86年ころからバブルが崩壊し日本も景気が悪くなり、とくに証券会社はあおりを受けたと思います。景気が悪い状況はかなり続きました。

そのうち、給料がだんだんと減るようになりました。最初のうちはボーナスが減らされましたが、そのうち給料も減らされていきました。

そしてそれが続くとリストラが始まりました。そのリストラでだんだんと社員が減っていきました。

そのうち、私もリストラの対象になり、ついに会社をリストラされてしまいました。

35歳で無職になりました。

家族の中でも肩身が狭い。精神的にとても辛かった1年の無職期間

無職というのは、とても精神的に辛い日々が続きます。仕事をしていないので、給料は入ってこない状態になります。

ですから、妻にも精神的な負担をとてもかけてしまったと思います。仕事をしなくなった父親というのは、家では肩身が狭い思いをします。

子供に厳しい注意ができなくなります。ですから、その時期は子供もあまり言うことを聞きませんでした。

正直に言うと、証券マンとしてかなり仕事に没頭していましたので、仕事にかなりの楽しみを覚えていたところがありました。ですから、仕事をやめた時は相当やる気がなくなってしまいました。

それで、奥さんに1年間時間がほしいと言いました。1年で再就職するので、その間は奥さんにパートで働いてもらいました。セブンイレブンでアルバイトをしてもらい、残りは貯金でなんとか食べていくという生活を1年間しました。

当然ながら、妻も了承はしてくれたもののだんだん心配になってきたのでしょう。文句も多くなりました。そんな状況に耐えられるのは時間の問題でした。

そういう状況での再就活でした。

職業安定所と転職サイトを併用した再就職活動

私は職業安定所やインターネットの転職サイトを使って、再就活をしていました。

職業安定所では、まず面接がありました。

・どういう経歴で

・どのくらい給料をもらっていたか

・また家族構成や生活にどのくらいお金がかかるのか

などを聞かれました。

私は650万円くらい稼いでいたので、またそのくらいもらいたいと話したところ、条件にあった仕事が何件かありました。

ほとんどは管理職のお仕事でした。

私の知っている他の証券会社の管理職の仕事や、銀行や旅行代理店の管理職などがありました。

私はこれまでの経験を生かして、また証券会社の管理職の面接を受けてみたいと話し、職業安定所の人がいろいろ情報をくれました。

履歴書を送付して連絡を待ちました。

36歳、緊迫した面接を乗り越え内定を獲得する!

そうしたところ、応募した会社から電話がきました。さっそく面接にきてほしいとのことでした。

面接に行くと、これまでのことを事細かく聞かれました。

そして、どうしてリストラにあったのかを聞かれました。私は以前の会社でのことを細かく話しました。

面接官は私がどういう経緯で会社を辞めたかをある程度聞いていたようで、かなり厳しく問いただされました。私は誤解がないように丁寧に説明しました。

正直かなり緊迫した面接だったと思います。

なんとか内定はもらいましたが、やはり上司からはそういう人間として見られているとは思います。

自分は一生懸命にやっても、辞めるとこのような扱いになってしまうのです。

ですからなるべくならば、最初についた仕事はやめないのがいいと思います。

しかしやむをえずに辞めた場合は、心が折れることなく再就職をすることをおすすめします。

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