ニートの就職体験談

パチンコ漬けの3年間。ニート生活に限界を感じ、25歳無職から大学職員へ正社員登用!

投稿日:2019年10月29日 更新日:

私(男)は22歳で大学での就職活動に失敗した後、パチンコ店に通い詰めるニート生活を3年間送っておりました。

私の就職活動時には、不景気も相まって学生にとってはなかなか思うように就職先が決まらない時代でありました。

そんな中で私もご多分に漏れず就職先がなかなか決まらず、結局大学卒業までの間に就職先は決まりませんでした。

そこから私のパチンコニート生活が開始されます。

ここでは、私が実際に経験した、ニート生活から正社員に登用されたまでの軌跡をご紹介いたします。

目次

朝から深夜まで毎日パチンコに通う日々

大学卒業後、就職活動にも疲弊していた私は特に何かに対するやる気も起きず、しかし生活費は稼がなければなりませんでしたので、一先ずパチンコとパチスロでお金を稼ごうと思いました。

そこで、パチンコ店に通う生活が始まります。この生活は25歳までの3年間続きます。

パチンコ店では新台や良い台があれば朝一に並んで取りに行かなければなりませんので、朝の8時半くらいには整理券を貰いに店の前に並ばなければいけません。

人気店だと7時半くらいに並ぶ時もあります。

そして、夜は閉店間際22時45分くらいには駅前の各店舗をチェックしなければなりませんので、明日の準備用に各店舗を回って歩きます。

それを毎日毎日繰り返します

日中は日中で眠気眼の中、台を打ち続けなればなりませんでした。

両肩が疲労感で物凄く重く、そして痛くそれでも毎日毎日打ち続けました。

日中大音量の店内で仕事をしているため、夜になっても一向に眠れません。

頭の中でガンガンに効果音が鳴り響き、眼が冴え渡っているため、しょうがなくファミレスに行って深夜3時や4時くらいまでは勉強をしていました。

やることがないし、家にいてもしょうがないので他にしようがありませんでした。

パチンコ店には、縄張り争いのライバルやパチンコ店で働いている人、またキャンペーンガールの様な仕事をしている人もいるわけですが、そういう方々とも次第に親しくなり色々と話しをするようになりました。

色々な方の話を聞いていく中で、また親しくなって相手の本音を聞くとともに、やはり悶々としたものが溜まってきていました。

お金は稼げているからこれを続けていればやがて資産は作れるだろうが、何だか違う気がずっとしていたのです。

これを延々と続けるような生活で本当に良いのだろうか?という自問自答はよく行っていました。

ふらっと何となく電車に乗り、海に出かけてはそのまま旅行に突入してしまうことも幾度となくありました。

いわゆる、自分探しの旅というやつですね。

そんな日々を繰り返している内にある日転機を迎えます。

大学職員に正社員登用!舞台さえ整えば正社員になるのは楽だった!?

駅前には行きつけのパチンコ店もありましたが、ハローワークもありました。

ある日の朝、パチンコ店が10時に開店する前にふとハローワークに行ってみようという気が起きたのです。

何故、今までの行動パターンを変えたのかその当時ははっきりとした理由は分かりませんでしたが、今振り返ってみるとニート生活に限界を感じていたのだと思っています。

パチンコ店に朝から入り浸っている人間と言えば、現役を引退されている高齢者を除けばロクな人がいませんでした。

簡単に勝てる遊戯で負けている人ばかり、何百万、何千万円というお金を吸収されている人も多くいました。

そういう人たちと一緒にいるのにも、限界を感じていたのかもしれません。

それに、パチンコとパチスロにも飽きました。

就職活動の仕方は知っていましたが、リクナビNEXTマイナビエージェントを使っての一般的な就職の仕方で進めていてはライバルに歯が立たないと思っていましたので、その時にはハローワークを使って差別化を図ろうと考えていました。

ハローワークで楽そうな公系の仕事、計3つの紹介を受けました。

そして、3つ就職面接を受けた中の2つに合格してしまいました。

余りにあっさり受かってしまったのでびっくりしました。

一つは国からの資格試験の代行を請け負っている公系の機関で、もう一つが今後勤めることになる大学の職員です。

就職試験では小論文や学力試験もありましたが、小論文は思っていることをただ書き記したら面接官の方に非常に好感を持たれたらしく、学力試験も所詮は高校レベルか大学教養レベルの問題しか出てきませんでしたのであっさり通過してしまいました。

では、学生時の就職活動と無職時の就職活動で何が変わったのかというと、結局のところ社会情勢が変わっただけです。

つまり、好景気になって人が不足しているから、人が足りていないから簡単に就職できてしまうというその変化だけなのです。

舞台さえ整えば、正直ヒューマンスキルはそれほど土俵には上がってこないとも言えるのかもしれません。

まとめ

最後に面接の場で評価された内容についてお話いたします。

私のニート生活では職業病とでも言うのでしょうか、夜眠くても眠れないという特性ができてしまいましたので眠れない間基本的にはずっとパソコンをいじっていました。

そこでパソコン技術が向上したり、お金儲けの為にファイナンスを勉強していたわけですが、そういう知識が評価されました。

つまり、ITに長けている人材はどこに言っても必ず評価されます。

コンサルティングファームを考えていただければ分かりますが、分野は金融とITになります。

つまり、世の中の戦略は金融とITで決まる、それだけ重要な分野がこの2つということです。

だから、ITに長けている者はどの業界に行っても重宝されます。

そして、私の場合毎日パチンコとパチスロを繰り返していく中で緊張やドキドキしない体質ができあがっていました。

それ故、面接で1対10の幹部面接もありましたが、何も感じませんでしたし、淡々と思っていることを話しました。

そういうことも重要だと考えます。

緊張すれば、上がってしまえば話したいことも話せなくなりますが、平常心を保てるなら面接の中で少なくとも何かを残すことはできると言えます。

ニート生活は常に負けられないという日々の中で生活していましたので、それから比べればどんな環境もどんな仕事も大したことないと余裕を持って考えることができるのではないでしょうか。

そう考えると、何事も前向きに取り組めると言えるのかもしれません。

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